2014年12月20日土曜日

絶海の孤島、青ヶ島へ!

伊豆諸島の最南端の島、青ヶ島へ来ています。
まずは八丈島まで飛行機50分。


八丈島から東京アイランドシャトル(ヘリ)で20分、東京から358Km南の島です。


今日は雲が低くて上から青ヶ島を見れませんでした。宿にあった青ヶ島のジオラマがこちら。2重カルデラの頭だけ海から出た珍しい島です!里は外輪山の外側の少したいらな所にあります。


これが中央火口丘。丸山と呼ばれています。縞縞なのは椿と何かを交互に植林されてるからだそう。230年位前に噴火して出来た火口丘だそうです。火口の中の平らな所はほとんど自然林で、噴火のあと、鳥が種を運んだタブノキやホルトノキの森だそうです。車で走ったら林の中はオオタニワタリだらけでした。平らな以外、御蔵島の森と少し似ていました。


丸山の西側は湯気が出てて岩が暖かい。ここに寝転がって星空を見たい!でも今夜は暴風雨の予報ですー。


湯気を引き込んだ蒸し釜がありました!釜に限らず湯気が出てる穴を「ひんぎゃあ」と呼ぶらしい。外食する店が無い島なので、宿が蒸して食べるお弁当を用意してくれましたっ。


今日のお昼のおかずですっ。おむすびは待ちきれずに先に食べちゃった。

この地熱釜の隣は無料キャンプ場。反対隣は300円サウナ、個人タオルマット付。安い!外輪山の内側には水道設備が無いけど、サウナは天水っぽいシャワーと湯船もありましたっ♪

青ヶ島、どれだけ夢の島なんだっ。

お昼の後はサウナにも入ってきました。サウナで会った島のおばあちゃんが、そのまたおばあちゃんに聞いた話だそうですが、230年前の噴火の時、今の様にヘリも大きな船も港も無かった時代だったので、手漕ぎの船で逃げたそう。でもみんなは乗れなかったので、年よりは島に残って若い人を八丈島へ逃がしたんだって。当時、年寄りは暖かい外輪山の内側に住んでたとか。残った年寄りは皆死んじゃったって。その時の噴火で丸山が出来たんだって。

噴火から50年位経って200人程の島民が帰ってきたとか。今は元々青ヶ島の人は80人位で90人位が外から来た人。学校には先生が20人いるけど、生徒は10人だって。だけど、昔は400人位住んでた時もあるんだって。
「産業は何があったんですか?」
『牛を飼ってたの。牛乳を出荷してたのよ。皆、豚や鳥も買っていた。野菜も(地熱で?)良く育つし、何も島の外から買わなかった。米は牛乳を売って少し。ほとんど芋を食べていたの。今は島の外から何でも買うから船が来ないと難儀する。でも、こうして観光のお客さんも来てくれる様になった。』
もっとお話していたかったけど、60度のサウナは温いようでも長居はできなかった。おばあちゃんも毎週土曜日に役場の人に連れてきてもらうので、脱衣所で役場の女性が待っていました。

そうそう芋を40分蒸しながら港を見に行ってきました。

外輪山の内側から港へ抜けるトンネル。


島の南にある港。船が着く気がしません。なんだ!この絶海の孤島感~っ。


「ひんぎゃあ」で蒸した芋は一見ジャガイモだったんだけど、食べるとねっとり甘いさつまいもでした。中身の色もジャガイモだけど味は種子島の安納芋ににてた。昔から青ヶ島で作ってるいもらしい。おばあちゃんが米より沢山食べたって芋もこれだったのかなぁ?

さて、島には6軒の宿があるらしい。昼弁当も量が多かったが夜もすごい。食べきれないよ~。今夜は雨なので飲めるんだけど、お腹に隙間がありませんでした。でも、宿の特製、あおちゅうで作った梅酒をもらった!旨いっ。でもお猪口に一杯しか入らないっ。


3泊の予定ですが晴れるかなぁ?
今、物凄い風切り音と雨音が宿の外でしています。
子守唄には激しい音だけど寝ます~。

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